花をもらう、そしてその後。
花をもらうことが時々ある。花瓶に活けるような花もよくもらうけれど、アレンジメントになったものも年に何度か届く。
3週間前に届いたアレンジは、360度どこから見てもかわいくしてある、特に好きなタイプのものだった。
広いリビングなら、部屋の真ん中に置いてどこからでも眺められるようにしたい所ながら、そんな場所はないから、片隅に置くことになるのだけど。
たっぷりのグリーンと淡い色合いのお花を組み合わせた、春らしいアレンジ。
届いた頃は桜にはまだまだ早くて、「花」というものを存分に見ることはなかったから、なおさら、春が来る、という気分にさせてくれた。
そしてこういうアレンジは、どれかの種類の花がまず散り、どれかたちが萎れ、最初はその花を抜いてもそれなりに全体は保たれているのだけど、抜く花が多くなると、さすがにそうは行かない。
昨日とうとう、全体をばらし、まだ飾れる花だけを活けなおす作業をした。
土台のグリーンが、届いたのちに、後というか、この1週間ほどで成長し、黄緑色の柔らかい新芽を伸ばしてた。
アレンジの中で、オアシスの上で、こんな風に育つなんて、なんて健気なんだろうと思うと、花もないグリーンだけど、すぐには手放せなくなる。
たまたま鮮やかな色の花たちは先に萎れてしまっていて、淡い薄紫の花たちばかりが残る。
そしてグリーンと。
届いた時のイメージとはずいぶん違う花たち。淡く静かに部屋に落ち着いている。
今年はずいぶんお花見をして、思えば桜で満たされた心地がする。
だからちょうど、この静けさが今にぴったりかもしれない。
今しばらくはこの花たちで。
紅茶が好き
とにかく紅茶が好き。初めて紅茶を「おいしい」と意識したのは15歳の時だった。友達が家に来て、その友達はいつも遊んでる友達たちとはちょっと違ってて、丁寧なこと、が通じる人だと、当時はそんな言葉で思った訳ではないけど感じてて、だからちゃんとお茶を入れて出そうと考えた。
当時いったいどんなポットがあったのかも忘れたけれど、おもてなしの日本茶やコーヒーや紅茶の入った棚の奥から紅茶の缶を発掘して、リーフティーで紅茶を入れた。
私より「いいもの」を知っていそうな友達は、紅茶を飲んで、しばし考え込み、これはとてもいい紅茶な気がする、と言った。いい紅茶、がどんなものかは知らなかったけれど、私も確かにそれはおいしいお茶だと思った。
それが私の、初めて紅茶をおいしいと認識した一杯だった。
あとになって、あの紅茶は何の紅茶だったのか何度も考えた。当時、家には、リーフティーはリプトンくらいしかなかったと思うけど、その缶はリプトンではなかったことは確実だ。黒っぽいか、あるいは深緑か、そんな缶だったと思う。中身と缶が一致しているかも定かではないけれど。
何かキーマン系のお茶だったのではないかと思う。今もキーマンは大好き。一番好きかもしれない。
もう夕飯の後のお茶を飲んだのだけれど、こんなことを言ってたら、また紅茶が飲みたくなってきた。ここはやっぱりキーマンを入れるところかな。
また始める。
15年ほど前にひっそりとはてなブログを書いていた。それはただ自分のために書いていたもので、公開にしていたかどうかも覚えていないけれど。
残念なことに、少し間が開いてしまった後、ログインできなくなって、同時にひたすら忙しくて、すっかりやめてしまったんだけど、あのまま続けていたらよかったなあと思う。
今はインスタとかアメブロとか、色々ある。
はてなブログをやめちゃった後、ここ数年のうちにはアメーバブログをしていた事もある。
でもなんか違う、と思ってやめ、また新しいアカウント作るんだけど、しばらく書いてたらやっぱりなんか違う、ってなって、それもすっかりやめてしまった。
自分が勝手に影響されるのかもしれないけど、写真を多用して、みんなに受け入れられることを書いて、なんかそんな風に、気がつくとある方向に向かわされているような気になってしまって、違う…ってなる。
今、はてなブログがどうなのかも知らないけれど、私が勝手に抱いてる、語りたいだけ語ればいい、というイメージを勝手に採用して、思うままに書いていこうと思う。
続けていたらよかったな、始めていたらよかったな、と思うことは色々あって、だからすぐできることはやってみたらいいよね?
時間だけはある。とてもある。そして書くことが好き。とても。
話していい場がある、ってことは、新しい部屋を持つような心地。少しずつ自分の部屋にしていこうと思う。