思うこと。

日々思うことを思うままに話したい。

①北海道

行ったことある33都道府県の記録。北から順番に。

 

北海道は3回行ったのだけど、まずは1回目のこと。高校の修学旅行が北海道で、北海道豪華周遊の旅〜みたいな旅行だった。修学旅行とは思えないひたすら楽しい豪華な旅!

とは言え昭和55年のこと(昔〜!)だから行きは青函連絡船に乗った!それが旅費のためなのか、経験のためだったのかは分からないけれど、今になれば確実に経験として価値があったと思う。もうないものね?

新大阪から新幹線で東京に出て、上野発の夜行列車に乗って(石川さゆり!笑) その狭い夜行列車(寝台車)でみんな眠れないって騒いでるのに私はなぜかひとり爆睡してて、ほかのクラスの派手な女の子たちからまで、こんなとこでよー寝たなあって嫌味ではなく賞賛された、笑。そういえば、終始よく寝てよく食べた旅行だった。

どこへ行ったかって順番あちこちだけど、屈斜路湖摩周湖、美幌峠、網走もオホーツク海も、当時観光名所になっていた松山千春の実家が見える道路も笑、日本一長い直線道路も、いっぱい行ったのに全然出てこなくてなんかごめんねだけど、ほんとにぐるりと周遊した。

もちろん最後には札幌でも過ごし、たしか全日空ホテルに泊まったと思う。北海道最後の食事はホテルのコース料理で、一応マナーを学ぶ、という名目でおいしいものを食べさせてもらった、笑。

そこに至るまでもよく食べた、笑。道の駅的な所でバスが止まる度に、みんな思い思いにおいしいものを探して食べて、バスに乗ったら寝て、笑。大阪のおばちゃんのツアーじゃないんだから起きてガイドさんの話を聞きなさい〜って何回も怒られながら、ぐうぐう寝てたなあ。

串にささったじゃがいもとか、ほかほかのまりも饅頭とか。おいしかった!

寝てたけれど、ガイドさんの話も聞いてたしとても仲良くなって最後には涙のお別れのあのパターンだったし、友達ともあっちの子ともわいわい、こっちでもきゃーきゃー、新しく仲良くなる子もいて、何しろずっと賑やかで楽しかった。

途中、アイヌの木彫りのグッズが売られている所があって、そこに限らずみんなお店に寄るたびに、やっぱり大阪のおばちゃんのツアーみたいにお土産を買ってたのだけど、その木彫りのお店ではみんな小さいアクセサリーを買った。ペンダントとか指輪とかブローチとか。そしてそれをみんなそれぞれに付けて、今思うととてもかわいいね。最後、解散の時に学年主任の先生が、旅行中はアクセサリーも構わなかったけれど次に学校に行く時は禁止だからして来ないようにと話し、そうか、いつも厳しい先生も旅行中は私たちの楽しさ優先にしてくれてたんだなあって、とてもうれしかったことを今でも覚えてる。

帰りは飛行機で、私には初飛行機だった。まだウォークマンもなかった時代、イヤホンなるものを知らなかった私が知っていたのは家にあるガチのヘッドホンだけで、飛行機のイヤホンをヘッドホンみたいに頭の上に付けて、隣りの子に、変わった着け方するねって言われてとても恥ずかしかった、笑。そりゃ変わってるわ。笑。でも、まちがってるで、って言わないのは優しさだね。その子とは年賀状のやり取りは今もしていて、数年前に一度会って、また会おうって言いながら色々あって会えずにいるけど、懐かしくなって来たから、ほんとにまた会いたいな。

伊丹に戻ったら、到着口の前にはお迎えのお母さんたちがいっぱいいて、だけど私の家はそんなことするタイプじゃないから、まあ何とかして帰るかと思ってたら、母と姉がいてとてもとてもびっくりした!なんで来たん?って驚きのあまり尋ねたくらいびっくりして、うれしかった。自慢の美人の姉と私とそっくりな母。友達にも、お母さんとお姉ちゃん?って聞かれて、うん、そうやでーってとてもうれしかった。

家に帰ったら、北海道から家族に送った葉書が何枚か既に届いてた。

そこまでが修学旅行の思い出。あ、後から写真屋さんが撮ってくれた写真の販売があって、何しろ長い旅行だったし、楽しい思い出だったし、写真もたくさんほしいのがあって、計算したら5000円くらいになって、兄には買い過ぎやろ、高いっ!て怒られたけれど、母は、それだけ楽しかったんやし欲しいんやから仕方ないやん、買い、って言ってくれた。そこまでが修学旅行の思い出かな。

これが北海道(1回目)の話。