思うこと。

日々思うことを思うままに話したい。

⑥長野

長野は何度も行ってる。スキーにも避暑にも。学生時代にも恋人時代にも家族になってからも。両親との旅行でも。多分何十回も行ってる。自分の住んでる圏外では間違いなく一番行ってる県だ。

初めて行ったのは高校のスキー教室。希望者だけが参加するもので、私は興味もなかったのだけど、その時仲良くしてた友達が誘ってくれて行った。後で聞いた話では、私がスキー教室に行きたいと親に話した時、両親はとても喜んでくれたらしい。自分から積極的に新しいことをするタイプではないと思っていたらしく、その私が行きたいと言うのならたとえ経済的に無理することになってでも行かせてやると思ってくれたらしい。ありがたいことだ。

スキーは散々だった。ほんとうに散々だった。まるでできないし、引率の体育の先生からは日頃から運動音痴すぎて嫌われてたし、ほんとうに悲惨だった。そうだった、という記憶しかもうないけど、なくてよかった、笑。とは言え、きっと全般には楽しかったのだろう。高校生だものね、嫌なことが次々起こることにも慣れてるし、何をしても楽しいものなんだろう。

だから自分がまたスキーに行くとは、その時は思わなかっただろうけど、二十歳になる頃に付き合い始めた彼氏(後の夫)が本気のスキーヤーで、私はその後スキーに行きまくることになる、笑。

その彼氏と最初にスキーをしたのは、彼氏の居候先のペンションに(新潟に位置するのとは別のペンション。こっちは長野ど真ん中、笑)私が兄と共に遊びに行った時だった。兄と2人でスキー列車に乗って、ってなんだかかわいいエピソードだな。兄の友達もいたのかは忘れたけど、いたような気もする。兄は私を彼氏に託し、自分は自分でスキーに行き、私は彼氏がペンションの用事が終わるのを待って、ゲレンデに連れて行ってもらってた。当時はちゃんとしたウェアも持ってなくて、家にあったすこぶるださい、おそらく高校のスキー教室に行くために買った紺色のスキーパンツを履いていて、それはもう見た目から悲惨だったと思うけど、優しい彼氏はそんな見た目には一切こだわらず、私をうれしそうに連れて行ってくれた。もちろん滑ることもろくにできなかったけれど。

当初はまた兄と共に帰る予定だったけれど、彼氏に会ったら帰りたくなくなり、私はペンションに残って、居候させてもらうことにした。(もちろん後日、家に帰った際にはとんでもなく叱られた。当たり前だ。そりゃ叱られる)何となくハングリーな居候生活は、体育会系なことなど何一つしたことがなかった私には色々新鮮でとても楽しかった。何十人分もの宿の食事の用意、片付け、掃除、ほかに何をしたかは忘れたけれど、間違いなく楽しかった。昼間、手の空く時間には彼氏とゲレンデに行き、居候にはリフト券が支給されていて、物慣れた様子でリフト小屋のおじさんに挨拶して乗り込む彼氏をまねて、私も威勢よく、お願いしまーす!と言うのさえ楽しかった。最終的には家から、もういい加減にしなさい!と怒りの電話がかかって来て私はひとり列車を乗り継いで家に帰った。それも楽しかったな。乗り換えで降りた金沢で、立ち食いうどんを食べた。多分天ぷらうどん。ひとりでそんな所で、立ち食いうどんを食べてるなんて、なんて勇ましいんだろうと自分が誇らしかった。きっと駅も大股で歩いていたと思う、笑。

その後もとにかく冬はスキーだった。始めはスキーバスで、そのうち車で行くようになってからは、週末が近づくと思い立って出かける、くらいの気楽さでよく行った。真冬のスキー、3月に入ってからの春スキー。子どもが生まれてからはソリ遊びに行けるようになるまでの数年間はお休みだったけど(私は)、その後はまた10年ほど年に2回は長野に行ってたと思う。

 

10数年前からは、夏休みに長野に出かけるようになった。あちこちのペンションを探し、行った先でちょっとした観光をして、おいしいお蕎麦屋さんに行って、ドライブをして。何と言うこともないけれど、山があって緑があって、それでちょうどいい、と言うような。

少し前にペンションメッツァという、小林聡美さんのドラマを見たら、長野の夏の日差しや空気の色や、風の温度や日影の涼しさや、そんなものがとてもとても懐かしかった。

最後に行ったのは2015年の夏だから、もう8年も前になる。自力では、よく行ってた辺りまでは難しいけれど、諏訪湖にはまた行こうと思う。