思うこと。

日々思うことを思うままに話したい。

②秋田のつづき

秋田にはもう一度行ったんだった!

その時はひとりで。でもひとりでタラップを上った記憶はない、笑。もっと言えば、空港からバスに乗った記憶もないけれど多分秋田駅まで乗った、のだろうな。駅前のホテルに泊まり、夜は息子と待ち合わせて比内地鶏の親子丼を食べて、スタバの前でまた明日ねって別れて、私はカモミールティーを買って部屋に戻った。

旅先で誰かに会うことも、そのあとひとりでホテルで泊まるのも好きだ。居心地のいいホテルで部屋もお風呂もゆったりしていて、やたらのんびり過ごした。ホテルではしなきゃいけないことが何もないから、のんびりできるのね。iPhoneから山下達郎を大きな音で流して、あれこれ考えごとをして。いつも思うのだけど、部屋の音というのは隣りにどのくらい聞こえるものなのだろう。隣りの人の音はほとんど聞いたことがないけれど、それは隣りの人がいつも静かだからなのか、聞こえないようになっているものなのか、未だに私には分からない。

次の日の朝は感じのいいコーヒーショップでモーニングを食べた。ベーコンはよく焼いてもらって、コーヒーはデカフェを入れてもらった。こういうことをお願いするのが、とても苦手だったけれど、ちょっとずつ練習してできるようになった。なってよかったと思う。

卒業式に行って、ただただ誇らしかった。この子が、みんなが、それぞれにしあわせであるようにとひたすらに願った。

夕方にはホテルの近くの商業施設の中をうろうろして、さすがに疲れたから夜はお弁当をホテルの部屋で食べることにして、とんかつのサボテン、と言うお店でお買い物をした。この時に食べた菜の花肉巻きフライがおいしくて、それ以来、わが家の春の定番になった。お支払いの時にお店のおねえさんに、ポイントカードありますか?なければ作りますよって言ってもらって、旅行中だからいいですって言ったら、サボテンは全国にお店があるから大丈夫ですよって、カードを渡してくれた。なんか優しくていいなってうれしくなった。

次の日は新幹線で東京に出た。途中見た空があまりに美しくて、そして自分があまりに満たされていて、箱ティッシュ一箱使って泣きたいくらい涙が出た。

東京では友達に会ったのだけど、それは東京の話だな。

②秋田

北から言うと2番目の県は秋田。

秋田に行ったのは8年前の6月。秋田行きって意外と飛行機いっぱいになるんだよと言われていたけど、そんな?と思ってたら、いっぱいになる理由がよく分かったわ、だって飛行機小さいんだもの!小さくて、ウイング?には付かず、徒歩にて近付き、タラップにて乗り込むスタイルで出だしからテンション上がった!笑

秋田空港は大きな なまはげが出迎えてくれて(というか立っていて)母とすかさずそこでも写真を撮ったと思う。そう、高齢の、でも何なら私より元気いっぱいの母を連れての旅行で、2人で旅行に行ったのはあの1回切りだから、行けてよかったなあ、ほんとに。この後また機会があればいいのだけどね。

着いた日は立ち寄る所があって、次の日に一日観光タクシーを予約してた。とてもいい運転手さんだった。優しくて温かくて。お天気も良くて、とてもとても楽しい一日だった。男鹿半島くるりと回るコース(だったと思う、私の地理のダメさは半端ない)で、深く青い海、澄み切った空、透明な空気、何もかもきれいだった。たしか途中に北緯40度線というのがあり、母と、向こうで落ち合った息子(私の)がふざけた格好で40度を表している、という変な写真がある。海と空と田んぼと風と、たしかに何もないといえば何もないけれど、だからこそすべてある、と感じた。

お決まりのなまはげ会館にも行き、なまはげ体験?もして、演じられているなまはげが、偶然にも母の名前を口にしたから、母はうれしそうに私です、って手を挙げてみんなで爆笑した。有名なババヘラアイスクリームを食べてみたかったけれど、食べるにはあまりに涼しくて断念。ほんとに道路沿いにババヘラ屋さんが座ってらして、お買い物したかったな。

次の日は母と2人で角館に行った。母いわくイルカの顔した新幹線に乗って。武家屋敷と大きな緑との町並みを行ったり来たり歩いてのんびり過ごした。出発する前から私は胃腸の調子がよくなくて、私が病人みたいなものばかり食べていても誰も気にしないでとお願いしていたくらいなのだけど(だから涼しくなくても私はババヘラアイスクリームは食べられなかったのだけど)(実際ホテルの朝食ブッフェでお粥と梅干しと冷奴などを食べてたくらいなのだけど)角館でようやく比内地鶏の親子丼を食べてみる、くらいに復活して、母に最後まで心配をかけなくて済んでほっとした。

早めに秋田駅に戻り、空港バスまでの時間に母は駅前のファッションビルを見たいといい、当時はたしか宮崎あおいがイメージキャラクターだったアースで、とてもかわいい花柄のカーディガンをお買い物してた。隙間時間にもお買い物したい元気ぶりは、やっぱり私以上だった、笑。

そしてまたこじんまりした心地のいい空港から小さな飛行機で伊丹に戻り、リムジンバスで帰宅したのだけど、終始2人ともご機嫌で、テンション高めで、何ともおもしろい旅行だった。母といると、おかあさんっっ!て腹の立つことも満載なのだけど(でもほんとにかわいい人で大好きで何だって最終的には爆笑になって収まるのだけど)この旅行の間は、あまりそんなこともなくひたすら楽しかったなあ。秋田の伸びやかさのおかげかなあ。現地で合流した息子のおかげ、というのもずいぶん大きいと思うけど。

秋田は、だから私にとってはとてもいいところ。何もなくてすべてある、という、なんだろう、私の日常を表す言葉と同じような感覚のところだった。

①北海道

行ったことある33都道府県の記録。北から順番に。

 

北海道は3回行ったのだけど、まずは1回目のこと。高校の修学旅行が北海道で、北海道豪華周遊の旅〜みたいな旅行だった。修学旅行とは思えないひたすら楽しい豪華な旅!

とは言え昭和55年のこと(昔〜!)だから行きは青函連絡船に乗った!それが旅費のためなのか、経験のためだったのかは分からないけれど、今になれば確実に経験として価値があったと思う。もうないものね?

新大阪から新幹線で東京に出て、上野発の夜行列車に乗って(石川さゆり!笑) その狭い夜行列車(寝台車)でみんな眠れないって騒いでるのに私はなぜかひとり爆睡してて、ほかのクラスの派手な女の子たちからまで、こんなとこでよー寝たなあって嫌味ではなく賞賛された、笑。そういえば、終始よく寝てよく食べた旅行だった。

どこへ行ったかって順番あちこちだけど、屈斜路湖摩周湖、美幌峠、網走もオホーツク海も、当時観光名所になっていた松山千春の実家が見える道路も笑、日本一長い直線道路も、いっぱい行ったのに全然出てこなくてなんかごめんねだけど、ほんとにぐるりと周遊した。

もちろん最後には札幌でも過ごし、たしか全日空ホテルに泊まったと思う。北海道最後の食事はホテルのコース料理で、一応マナーを学ぶ、という名目でおいしいものを食べさせてもらった、笑。

そこに至るまでもよく食べた、笑。道の駅的な所でバスが止まる度に、みんな思い思いにおいしいものを探して食べて、バスに乗ったら寝て、笑。大阪のおばちゃんのツアーじゃないんだから起きてガイドさんの話を聞きなさい〜って何回も怒られながら、ぐうぐう寝てたなあ。

串にささったじゃがいもとか、ほかほかのまりも饅頭とか。おいしかった!

寝てたけれど、ガイドさんの話も聞いてたしとても仲良くなって最後には涙のお別れのあのパターンだったし、友達ともあっちの子ともわいわい、こっちでもきゃーきゃー、新しく仲良くなる子もいて、何しろずっと賑やかで楽しかった。

途中、アイヌの木彫りのグッズが売られている所があって、そこに限らずみんなお店に寄るたびに、やっぱり大阪のおばちゃんのツアーみたいにお土産を買ってたのだけど、その木彫りのお店ではみんな小さいアクセサリーを買った。ペンダントとか指輪とかブローチとか。そしてそれをみんなそれぞれに付けて、今思うととてもかわいいね。最後、解散の時に学年主任の先生が、旅行中はアクセサリーも構わなかったけれど次に学校に行く時は禁止だからして来ないようにと話し、そうか、いつも厳しい先生も旅行中は私たちの楽しさ優先にしてくれてたんだなあって、とてもうれしかったことを今でも覚えてる。

帰りは飛行機で、私には初飛行機だった。まだウォークマンもなかった時代、イヤホンなるものを知らなかった私が知っていたのは家にあるガチのヘッドホンだけで、飛行機のイヤホンをヘッドホンみたいに頭の上に付けて、隣りの子に、変わった着け方するねって言われてとても恥ずかしかった、笑。そりゃ変わってるわ。笑。でも、まちがってるで、って言わないのは優しさだね。その子とは年賀状のやり取りは今もしていて、数年前に一度会って、また会おうって言いながら色々あって会えずにいるけど、懐かしくなって来たから、ほんとにまた会いたいな。

伊丹に戻ったら、到着口の前にはお迎えのお母さんたちがいっぱいいて、だけど私の家はそんなことするタイプじゃないから、まあ何とかして帰るかと思ってたら、母と姉がいてとてもとてもびっくりした!なんで来たん?って驚きのあまり尋ねたくらいびっくりして、うれしかった。自慢の美人の姉と私とそっくりな母。友達にも、お母さんとお姉ちゃん?って聞かれて、うん、そうやでーってとてもうれしかった。

家に帰ったら、北海道から家族に送った葉書が何枚か既に届いてた。

そこまでが修学旅行の思い出。あ、後から写真屋さんが撮ってくれた写真の販売があって、何しろ長い旅行だったし、楽しい思い出だったし、写真もたくさんほしいのがあって、計算したら5000円くらいになって、兄には買い過ぎやろ、高いっ!て怒られたけれど、母は、それだけ楽しかったんやし欲しいんやから仕方ないやん、買い、って言ってくれた。そこまでが修学旅行の思い出かな。

これが北海道(1回目)の話。

こんなんでいいんかい委員会。

よく発足される「こんなんでいいんかい委員会」。わたしの中で気が付いたら会議が始まってる、笑。こういう人いるわねー何の結論も出ないのに、いつも同じことうだうだあーでもないこーでもないって話し合って議論してる気になって、それで納得してる人。会議が好きなだけなんじゃないの?ってまさにそれだなぁと思う、自分のことを。

まるで何も変わらないし、何の策も出ないし、いや別に何かを変えようと本気で思ってる訳ではなくて、こんなんでいいんかい、だって仕方ないよ、こんなこんな理由で今はこんなんな訳よ、そっかじゃあ仕方ないねーと、自分で自分を言いくるめる、あるいは、この状況にいることに色んな言い訳を付ける、そのための委員会をしてるんだなあと思う。

昔からその傾向はあったけど、仕事を辞めて以来、この委員会は頻繁に発足される、笑。最近は落ち着いてて、わたしもとうとう納得してきたのかな、なんて思っていたら、昨日あたりから、え、もしかして委員会の招集してる?って気配がしていて、今朝になったら貼り紙がしてあった、笑。

こんなんでいいんかい委員会。笑

またやってる、と思い、結局会議をしてることで自分を納得させたいだけなのかと思い、何を言い訳し続けているのだろう?と思う。

言い訳。言い訳を集めて並べている限り、この委員会はほんとうには解散されないね。納得と言い訳はまるで違う。そもそも納得だって、外から理由を並べてするものではない。

自分がしたいこと、自分がしていること、自分が好きなこと、自分ができていること、自分の大切なこと、実際大切にしていること、それらは全部とても足元にあって、いつも見ているもので、そこを見ていると納得しているのに、何かの拍子に焦りを感じると、目線が「ここではないどこか」に向かって、それでよく見えなくなる、のかもしれないなあ。なんて、とても陳腐だけど。まだそんなこと言ってるの、わたし?

 

最近は、考えることからも逃げてるね。ことからも、の「も」は、ほかに何から「も」逃げてるってことなんだろ?無意識に逃げてることがあると感じてるのかな。逃げてるとか、中途半端とか。

無理せずゆるゆると、が、気付けばただの怠けぐせになって来てるようで、これこそもしかしたらゆるゆるできてるってことなのかもしれないけど、慣れない感覚で、否定せずにはいられないのか。うーん、よく見て探って考えることがたくさんたくさんある。

あるのだけど、今はまず犬をカートに乗せて日向ぼっこのお散歩に連れて行こう。これは今のわたしには、唯一お外の空気が吸える貴重な時間で、これにはタイミングがとても大切。

続きはあとで。今日の後の時間か、明日か、明後日か、来週か。逃げてるとも言えるし、こんなんでいいんかい委員会を、焦って適当に終わらせないためとも言える。

 

33都道府県

益田ミリさんの47都道府県をひとりで旅したエッセイをちょっとずつ読んでる。

夕飯を食べながらそのことを考えていて(ちなみに今宵も柳宗理のフライパンで調理した) 自分は一体どのくらいの都道府県に行ったことがあるんだろ?って数えてみた。通過ではなく、目的地としての都道府県ね。

益田ミリさんは全部行ったのか、わたしは半分も行ってないだろう、せいぜい20くらいかなあって思いながらお箸を置いて、指折り数えてみたら33都道府県も行ってた!びっくりした!

ほんとに?って我ながら疑わしくて、笑、行ってない県も数えて間違いないか確かめるかと思い、がしかし自分が47都道府県をすらすら言える自信もなく、ごはん中なのに日本地図をググり、結局amazonで販売されてる子ども向けの都道府県パズルが分かりやすいからその画像を出し、北からチェックして行ったら、ほんとに33都道府県には行ったことがあり、14県には行ったことがなかった。

意外と行ってるんだなあって、うれしくなる。どこに行って何をしたかも、意外とちゃんと覚えてるはずと思い、また1県ずつ確認して行く。ちゃんと覚えてる。子どもの頃から現在までの色んなタイミングで訪れた色んなところ。

 

そこでどんな所に行ったか、何をしたか、ちょっとずつ書いてみようかなあ。楽しそう!

柳宗理のフライパンと恋

鉄のフライパンを買った。今日わが家にやって来た。

実物を見て心臓がどきどきした。こんな美しいフライパンがあるなんて、と息を呑むほど美しくて感動した。写真も説明も口コミもさんざん見てから買ったけれど、実物の美しさはそれらを遥かに超えてる。

f:id:joyyesno:20230415214231j:image

だからこの写真でも、やはり美しさは伝わらないのだけれど。いびつな形の美しさ。その形の持つ機能性。

このフライパンには蓋が付いていて、その蓋もまた当然ながらいびつで、でもそのいびつさは、ただ「いびつな本体にぴったりはまる」だけではなく、はめ方によっては密閉し、あるいは片側にだけ隙間を作り、あるいは両サイドに隙間を作り、煮るなり蒸すなり水切りするなり、もちろん焼くなり、好きなように調理できるための蓋になっている。

f:id:joyyesno:20230415220404j:image

 

機能的なものは美しい、とよく聞くけれど、ただ機能性を求めたら美しかった、訳ではないだろう。機能性を考える時には当然として美しいものである、という前提というか、品のいい人は何をしても品がいい、ような、ものの基盤として美しさがある、ような。

あまりにどきどきして夢中になってfacebookに投稿し、夕方も遅かったけれどどうしても使いたくて油ならしをして料理をし、それでもまだ胸の高鳴る思いでフライパンを思ってるわたしは、完全にフライパンに恋したのだと思う。

なんということ!フライパンに恋する日が来るとは!笑

当たり前のように、いちいち油返しすることもないほどに、毎日使うようになっても、柳宗理のフライパンに恋していたい。恋して、心おどる料理を作ろうと思う。

 

 

 

びっくりした!

ずいぶん前に少しだけ書いてた自分のアメーバブログのパスワードを見つけてログインしてみたら入れた。あらこんなこと書いてたんだなーって読み返していたら、当時仲良くしていた人とコメントやり取りしてて、その人ももう少なくともそのブログは書いてないだろうと思いながらポチっとしてみたら、続けてたらしく思いがけず近況を知った。

少し前から時々その人のことを思い出して、どうしてるだろうと考えてた。もっと前には、連絡を取る手立てないかなーとブログもfacebookも一生懸命に探したこともあった。

ほんの短い間とても濃く仲良くしていた人。そしておそらく唯一、けんかして疎遠になった人。

疎遠になった人はいっぱいいる。と言うかほとんどの人とは何となく疎遠になってる。その人とは明らかにけんかしてさよならした。そんな人はわたしの人生ではその人一人だけだろうと思う、この先も。

だけど何となく気になってた。強くて繊細で賢いのかばかなのか分からない人で。と言うくらいの振り幅のことを次々とぶち込んでくる人で。ほんの短い間だったけど、お互いにその時には必要な相手だったのは間違いないのだろう。

わたしには大抵の人が気を遣ってしまうようだけど、出会った時からやすやすと肩を組んで話すような勢いで(実際には肩組んだことはない、笑)親しみを感じてくれて、わたしを「肩から羽根が生えてるくらい自由な人」と称してた。

ぽーん!と跳び上がるために、手を組んだ上に乗せて、えいっ!と持ち上げて跳ぶ勢いをつけてくれる、と言うのがあるでしょう?多分、その役割をしてくれた人なのだろうとも思う。

 

ブログの投稿をいくつか読んで、何となく近況が分かった。元気そうで何よりだ、と思った。よく使う言葉だけれど、こんなに本気で、元気そうで何よりだ、と思うことはなかなかないくらい、本気で思う。

同時に、やはりもう関わらない人なのだとも思った。ブログを読んで、がんばってるんだなあと思い、変わらないなあと思い、言ってることはおおむね分かるなあと思い、そしてびっくりするほど疲弊した。ほんの何回かの投稿を読んだだけでこんなに疲弊するとは、何というパワーなんだろうかとびっくりした。

マイナスな訳でも嫌なものな訳でもない。ただただ、あまりのパワーに疲弊した。誰もがその人に対してそう感じる訳ではもちろんなくて、そういう相性なのだろうね。だから、短い期間に深く関わってお互いに必要な力を与え合って、突然さよならすることにもなったのだろうね。尋常ではない関わり合いだったんだろうなあと思う。その時は必要で。もちろんいい意味の関わりで。

その頃と変わらない勢いで爆走し続けている人なのかもしれない。わたしは今はゆっくり歩き。走らない。だからただ、元気でいると知ることができてよかった。

よかったし、びっくりした、笑。こんなにも、ブログを読んだだけでダメージを与えるほどのパワーとは。しかもよくないパワーな訳でもないのに、うちのめすほどのパワーとは。びっくりした。

元気でね、これからも。元気であなたを生きていてね。と、心から思う。